2025/11/21
スイスチーズモデルは、安全教育で頻繁に引用される有名な理論だ。
「複数の防護層に空いた穴が、偶然一直線に並んだときに事故が起きる」という説明を聞いたことがある人は多いだろう。安全大会の講演でも、よく登場するモデルである。
しかし、この「偶然」という言葉に、私は少し引っかかりを感じている。
穴が一直線に並んだのは、本当に「偶然」だったのだろうか。それとも、どこかに「必然」があったのだろうか。この問いの立て方によって、その後の安全対策のアプローチはまったく変わってくる。
「偶然」と捉えるか、「必然」と捉えるか
スイスチーズモデルの教科書的な説明では、各防護層の穴は「常に動いている」とされる。ある日は穴がずれていて事故が防がれ、別の日は穴が並んで事故が起きる。まるで運の問題のように見える。
この「偶然」という理解は、ある意味で気が楽だ。「たまたま運が悪かった」と思えば、過度に自分を責めずに済む。
しかし、この理解には落とし穴がある。
「偶然」と捉えてしまうと、再発防止策が甘くなりやすい。「今回はたまたま穴が並んだだけで、次は大丈夫だろう」という楽観が生まれる。原因究明が表面的なところで止まり、根本的な改善に至らないことがある。
一方、「必然」と捉えるとどうなるか。
穴が並んだことには理由がある、と考える。たとえば、「その日に限って確認を省略した」「その作業員に限って経験が浅かった」「その現場に限って設備が古かった」など、それぞれに原因がある。そして、その原因が重なったのにも、何らかの背景がある可能性がある。
「必然」と捉えることで、より深い原因究明と、より実効性のある再発防止策が生まれる。
「穴の一致を防ぐ」という発想の難しさ
スイスチーズモデルから導かれる対策として、「穴が一直線に並ばないようにする」という考え方がある。
これは理論としては正しい。しかし、実務としては極めて難しい。
なぜなら、「穴の一致を防ぐ」ためには、各層の穴がどこにあり、どのような条件で動くのかを把握しなければならないからだ。
たとえば、建設現場の防護層を考えてみよう。
- 第1層:作業手順書
- 第2層:作業員の教育・訓練
- 第3層:保護具の着用
- 第4層:安全設備(手すり、ネットなど)
- 第5層:管理者によるチェック
それぞれの層に穴がある。手順書に記載漏れがある、教育が形骸化している、保護具を着けていない、設備が劣化している、管理者が多忙でチェックが甘い、といった具合だ。
これらの穴が「どのような条件で一致するか」を予測するのは、ほぼ不可能だ。各層は独立して動いているようで、実は微妙に連動していることがある。たとえば、「納期が迫っている」という一つの要因が、すべての層の穴を同時に広げることがある。しかし、そのような連動性を事前に把握し、穴の一致を防ぐことは、現実的には難しい。
より現実的なアプローチ。「穴を小さくする」
では、どうすればいいのか。
私は、「穴の一致を防ぐ」よりも「各層の穴を少なく、小さくする」ほうが、現実的な安全対策だと考えている。
穴がいつ、どのように一致するかを予測することは難しい。しかし、個々の層の穴を小さくすることは、比較的取り組みやすい。
手順書の穴を小さくする。記載を見直し、曖昧な箇所を具体化する。
教育の穴を小さくする。形骸化した研修を実効性のあるものに改善する。
保護具の穴を小さくする。着用率を上げ、装備の点検を徹底する。
設備の穴を小さくする。老朽化した設備を更新し、定期点検を行う。
管理の穴を小さくする。チェック体制を強化し、形式的な確認を実質的なものにする。
各層の穴が小さくなれば、たとえ一直線に並んだとしても、危険が通り抜ける確率は下がる。これは、複雑な連動性を把握しなくても実行できる、地道だが確実なアプローチだ。
「穴のサイズ」という視点
ここで一つ、スイスチーズモデルの見方を少し変えてみたい。
教科書的なスイスチーズモデルでは、「穴の位置」に注目が集まりがちだ。穴が一直線に並ぶかどうか、という話だ。
しかし、穴には「位置」だけでなく「サイズ」もある。
大きな穴の空いた層が多ければ、穴が並ぶ確率は高くなる。逆に、どの層も穴が小さければ、並んだとしても危険が通り抜けにくい。
この「穴のサイズ」という視点は、現場の安全対策を考えるうえで実用的だ。
「今日のこの作業で、どの層の穴が大きくなっているか」を意識する。たとえば、新人が多い日は「教育・訓練」の層に大きな穴が空いている。その日は、他の層(たとえば管理者によるチェック)を手厚くすることで、全体としてのリスクを下げられる。
穴の一致を防ぐことはできなくても、穴のサイズを意識的にコントロールすることはできる。
「偶然」の中にある「必然」を探す
話を最初の問いに戻そう。
穴が一直線に並んだのは「偶然」か「必然」か。
私の答えは、「偶然の中に必然を探す姿勢が重要」というものだ。
事故が起きたとき、「たまたま穴が並んだ」で終わらせない。「なぜ、その日に限って穴が並んだのか」を掘り下げる。すると、多くの場合、偶然に見えた出来事の裏に、何らかの共通要因が見つかる。
納期のプレッシャー、人手不足、天候の急変、コミュニケーション不足。こうした要因が、複数の層の穴を同時に広げていたことが明らかになることがある。
この「偶然の中の必然」を見つけることができれば、より根本的な対策が打てる。個々の層の穴を塞ぐだけでなく、穴を広げる共通要因そのものに対処できるからだ。
安全大会の挨拶での活用
この考え方を安全大会の挨拶に盛り込むなら、以下のようなアプローチが考えられる。
「穴を小さくする」ことの大切さを伝える
「スイスチーズモデルでは、穴が並んだときに事故が起きると言われます。しかし、穴がいつ並ぶかを予測することは難しい。私たちにできるのは、自分の担当する層の穴を、できるだけ小さくしておくことです。手順を省略しない、保護具を確実に着ける、声を掛け合う。こうした一つひとつの行動が、穴を小さくします」
「偶然」で片付けない姿勢を促す
「事故やヒヤリハットが起きたとき、『たまたま』『運が悪かった』で終わらせていないでしょうか。偶然に見えることの裏には、必ず理由があります。その理由を探す姿勢が、次の事故を防ぎます」
「今日、どの穴が大きいか」を意識させる
「今日の現場で、どの防護層の穴が大きくなっているか、考えてみてください。新人が多い? 暑さで集中力が落ちている? 工期が迫っている? 大きくなっている穴を意識して、その分、他の層で補う。そういう意識が、事故を防ぎます」
結論
スイスチーズモデルは、事故発生のメカニズムを理解するうえで有用な理論だ。しかし、「穴が偶然並んだときに事故が起きる」という理解だけでは、実践的な安全対策につながりにくい。
重要なのは、以下の視点だ。
1. 「偶然」の中に「必然」を探す
穴が並んだ背景にある共通要因を掘り下げることで、より根本的な対策が見えてくる。
2. 「穴の一致を防ぐ」より「穴を小さくする」
各層の連動性を把握するのは難しいが、個々の層の穴を小さくすることは、地道に取り組める現実的な対策だ。
3. 「穴のサイズ」を意識する
その日、その現場で、どの層の穴が大きくなっているかを意識し、他の層で補う姿勢が重要だ。
スイスチーズモデルは、「多重防護が大事」という教訓だけでなく、「各層の穴を小さくし続ける地道な努力」の重要性を教えてくれる。理論を現場に活かすために、この視点を持っておきたい。
スイスチーズモデルのようなリスク識別の考え方は、安全大会の開会挨拶にも反映できます。リスク予見やチームでの連携を呼びかける具体的な挨拶文は、以下の例文をご参考にしてください。